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リバティプリントの歴史

リバティプリントの歴史

日本でもおなじみの「リバティプリント」のリバティ社。このリバティ社の歴史は、140年以上前にスタートしました。現在の「リバティ百貨店」の全身となる「リバティ商会」が開かれたのは1875年のことです。創業したのはアーサー・ラセンビィ・リバティ。創業者である彼がリバティを築き、そのリバティが成長し、現在に至るまでの歩みをご紹介します。

リバティの始まり

リバティの歴史は、東洋との関わりとともにスタートしました。1875年、アーサー・ラセンビィ・リバティが、インドや日本などの東洋から輸入した美術品やファブリックなどの販売を始めたのが、当時のロンドンにおいて、きらびやかな通りとして有名だったリージェントストリートです。ショップの名前は「イースト・インディア・ハウス」。ここからリバティの歴史が始まったのです。魅力的な美術品やファブリックは、多くの人の目を引き、ショップは一躍有名になります。インドの小花柄や日本の小紋柄に触発されたプリントは、当時の顧客を深く魅了しました。

当初は、ウッドのブロックを使用するハンドブロックプリントでプリントされていましたが、その後、現在もさまざまなプリントに使われているシルクスクリーンを使用したプリントへと移行します。この手仕事によるプリントにより、リバティはオリジナリティあふれるプリントを世に続々と送り出していきます。

創業者のアーサー自身、1889年に約3ヶ月、日本に滞在しています。数多くの美術品や工芸品を買い付けたようで、彼にとって、日本は非常に大きな存在であったことがわかります。

1890年代に入ると、アール・ヌーボーを代表するデザイナーたちが、リバティのものづくりに参加します。リバティ自体、彼らを支援することで、アール・ヌーボーのムーブメントの発展に寄与しています。この頃すでに、リバティはイタリアでも大きく評価されていました。イタリアでは、アール・ヌーボー自体を「スタイル・リバティ」と、様式として呼ぶほどでした。

1924年、リバティはグレート・マルボロー・ストリートに、チェダー様式の「リバティ百貨店」を開きます。現在もこの建物で、百貨店は営業を続けています。

リバティ百貨店について

1924年に立てられたグレート・マルボロー・ストリートの建物は現在、イギリスにおいて第2種指定建造物に指定されています。この建物は、テューダー・リバイバル様式、そしてアーツアンドクラフツの建造物の代表格であるとされています。このリバティ百貨店の建築に使われている材木は、イギリス海軍の軍艦に使用されていたものというのも興味深いところです。当時の流行は取り入れず、かたくなにテューダー・リバイバルのデコレーションを使い続けたという、なんとも重みの感じられるエピソードもあるこの建物。現在もその威厳を保ちながら営業しています。

このリバティ百貨店でとてもよく知られているのが、ショーウインドウのディスプレイです。リバティには専属のディスプレイチームがあり、とても魅力的なディスプレイを作り出すことで知られています。特にクリスマスのディスプレイは、しばしば現実を超えるとも称され、多くの人々の注目を集めています。

1920年代のリバティは、とにかくファブリックで急激に売上を伸ばしました。今日も定番となっているリバティの象徴的なファブリック「タナローン」は、この頃に生まれました。

リバティの名声を不動のものにした「タナローン」

タナローン生地は、1920年代当時、シルクが高騰したことで、その代わりになる生地をコットンで実現することを目的として作られました。この生地を実現するために使われたのが、エチオピアのタナ湖周辺で栽培されていた、繊維の長い「長綿花」という綿花でした。このリバティ社がオリジナルで開発し、綿花の産地であるタナ湖の名前を冠したファブリックは、シルクを彷彿とさせる肌触りと光沢を持ち、リバティの名声を不動の物としたのです。シルクのような質感を持つコットン「タナローン」は、シルクからのコストダウンに留まらず、プリントの面でも大きな革新を成し遂げています。非常に細いコットン糸を使用するタナローンは、柄や複雑に重なる色目を、鮮やかに表現することに長けていたのです。これにより、多くの人を魅了したことは容易に想像がつきます。リバティプリントは、このような過程を経て、たくさんの人々に愛される製品へと成長したのです。

その後、1950年代からは、リバティはトラディショナルなラインとモダンなラインを軸に、若手のデザイナーなども登用し、コレクションを充実させていきます。

ブランドとのコラボレーション

リバティは、1960年代から70年代にかけて、ハイブランドとのコラボレーションを活発におこないます。エルメス、イヴ・サンローラン、マリー・クワントなどがその代表格です。現在でも、リバティは数々のブランドとコラボを続けていますが、その源流はこの時代にあります。

日本への輸出を開始

創業当初から日本とは関わりの深かったリバティ。しかし、日本へのファブリックの輸出が始まったのは、創業から約100年が経過した1970年代の後半のことになります。そして、それから間もなく、日本でもリバティプリントの生産を始めます。

リバティは、日本のデザイナーやキャラクターとのコラボ製品も発表しており、ツモリチサト氏、皆川明氏、ハローキティやマイメロディとのコラボ作品がよく知られています。

現在、そして未来へ

リバティ社では現在、4万点を超えるプリントデザインを保有しています。そのなかでもっとも古いものは、1870年代のものだそうです。コレクターからその頃の製品などを寄贈されることもあるようで、貴重な財産として大切に保管されています。

しかし、これまでの遺産だけがリバティ社の原動力なわけではありません。デザイン部門より年間に生み出される新しいデザインは約140にものぼります。

現在、リバティ社のコレクションでメインとなっているのは、古くから存在する、まさしく定番と呼べる「クラシック」と、年2回発表されるシーズン物の「ファッション」です。さらに日本では、日本で人気のあるデザインを集めた「エターナル」がコレクションとして存在しています。

2013年に登場した「リバティロンドン」は、リバティの長い歴史が凝縮されたプレミアム・ライフスタイル・ブランドです。これまでに発表されたデザイン、そして蓄積された経験と技術により作り出される製品は、テキスタイルをはじめ、小物やバッグなどの幅広いラインアップとなっています。創業者のアーサーが常に胸に抱いていた「すべての人にすぐれたデザインを」という思いをが詰め込まれた、コンテンポラリーなコレクションです。

職人によるハンドメイドで作られていたファブリックですが、現在はコンピュータと人の手、両方により、繊細で魅力的なデザインを生み出し続けています。リバティ社は、この生産体制で、これからも変わることなく、数々の魅力的な新デザインを生み出してくれることでしょう。

まとめ

リバティ社、そしてリバティプリントが歩んできた歴史についてお話ししてきました。東洋の美術やテキスタイルに影響を受けて始まったリバティの歴史は、今、140年を超えるその歴史を凝縮し、新たな時代もこの世界を先導しています。日本でもとても人気のあるリバティプリント。そのストーリーを知ると、よけいに魅力的に見えてきます。

2021-02-22 18:09:23

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